東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6241号 判決 1978年4月05日
原告 山本礼子 外一名
被告 国
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 原告らの身分関係について
成立に争いのない甲第一号証の一・二によると、原告礼子は訴外治の妻であり、原告洋介はその長男であることが認められる。
訴外治が、昭和二九年一一月三〇日航空自衛隊に入隊し、昭和四〇年三月当時はF-八六Dジエツト戦闘機の操縦士として第三航空団に勤務していたことは、当事者間に争いがない。
二 本件事故の発生およびその原因に関する請求原因2、3の各事実は当事者間に争いがない。
三 被告の責任について
1 国と国家公務員(以下「公務員」という)との間において、国は公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理にあたつて、公務員の生命および健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものと解するを相当とする(最高裁判所昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁)。
そこで右の見地に立脚して考察すると、本件において、被告は、その職務として訓練計画に基づく緊急発進訓練のため本件事故機に搭乗する訴外治に対し、同機の飛行の安全を保持して同訴外人の生命および健康等を危険から保護するよう配慮を尽くすべき義務を負い、この場合、右安全配慮義務の具体的内容としては、同機の各部品の性能を保持し、機体の整備・点検・修理等を完全に実施すべきであるといわなければならない。
ところで、原告らは、被告において右に示したような安全配慮義務を尽くさなかつた旨主張するので、この点について以下に検討する。
2 いずれも成立に争いのない乙第一ないし第六号証、証人辻秀也・同江口和昭の各証言および弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 航空自衛隊においては本件事故機を含むF-八六Dジエツト戦闘機について以下のような整備体系を設けて、点検・整備・修理が実施されている。
即ち、(1) 当日の最初の飛行をする前に実施される飛行前点検(この点検は航空機の飛行準備として行なう各部確認の作業および簡単な修正作業であつて、飛行群の中の飛行隊に配属する整備小隊が担当する。)、(2) 毎飛行後に行なわれる飛行後点検(この点検は航空機の飛行後の状態が次回飛行の安全に影響のある欠陥が生じていないかを確認するために、所定の点検項目について目視点検および簡単な修正作業を実施するもので、前記整備小隊が担当する。)、(3) 当日の最終飛行後に行なわれる基本飛行後点検(この点検も前記整備小隊が担当する。)、(4) 一定の飛行時間毎に実施される定時飛行後点検(この点検は一定の飛行時間の間に軽微な不具合が進行して大整備作業を必要とする欠陥までに発展するのを防止するために実施するもので、整備補給群の中の検査隊が主体となつて担当する。)、(5) 規定の飛行時間間隔で行なわれる定期検査(この検査は航空機全般について完全徹底的に実施されるもので、前記検査隊が主体となつて担当する。なお、部隊等の長は装備品等の整備等にあたつては関係規則等によるほか必ず航空幕僚長の発した関係の技術指令書に従つて実施しなければならないとされているが、業務上必要な場合に別途通達等で指示されたときはこれが右技術指令書に優先して適用されることになるところ、部隊では本件事故当時、右技術指令書には一〇〇飛行時間毎に実施すると規定されている定期検査の間隔を一二〇飛行時間に延長して試行するという航空幕僚監部の通達に基づき定期検査が実施されていた。)、(6) 定期的に実施される機体定期修理(この修理は三六か月毎に機体の重要部分を取り外し、または分解して基地整備では充分な点検・検査・整備が実施できない部分を重点的に検査するもので、各種検査・整備施設の整つている民間の航空機会社に委託して実施される。)、(7) 機体取付品の定期交換(これは取付品の摩耗による故障を未然に防止するために各取付品毎に統計的に定められた使用時間が経過する前に交換するという作業であつて、取付品の交換を必要とする場合はその期限に達する前の最も近い定期検査の際に実施される。)、以上のような各段階の点検・検査・整備が各整備基準に従い行なわれている。
(二) 本件事故発生の原因は前記二のとおり結局のところ本件事故機に装備されていた電子式燃料装置の中の真空管が不良になつたためと推定されるところ、右真空管を機体から取り外したうえでなされる性能試験は前記整備体系の中の定期検査および機体定期修理の各段階で実施することとされていた。
そして本件事故機につき、事故直前の機体定期修理は昭和三九年一月三〇日三菱重工業株式会社において実施されており、本件事故は、右定期修理から一四か月後で、次回の定期修理までに後二二か月を残した時期に発生したものである。
また本件事故機につき、事故直前の定期検査は昭和三九年九月三日に実施されており、本件事故当時の飛行時間は一〇四時間余りであり(このことは当事者間に争いがない)、従つて次回の定期検査を約一六時間後に控えていた。
(三) 航空自衛隊においては、航空機の点検・検査等の整備状況は整備担当者によつて、飛行時間・飛行状態等の飛行状況は操縦士によつて、それぞれ航空機毎に記録されることになつている。そして本件事故後に同事故の調査にあたつた航空自衛隊の航空事故調査委員会は、本件事故機についての右記録を調査・検討したが、同機は前記整備体系に従つた整備・点検・修理が実施されており、その間に何ら不備はないものと判断されている。以上の事実を認定でき、右認定に反する証拠はない。
3 ところで、証人江口和昭の証言によると、本件事故機は本件事故当日の午前九時から午前一〇時一〇分までの間第一回目の飛行を実施しているが、この飛行中には何らの異常も発見されることなく飛行を終えており、本件事故はその後に実施された第二回目の飛行中に発生したものであることが認められる。また前掲乙第三号証および証人辻秀也の証言によれば、訴外治が本件事故機に搭乗した後同機のエンジンを始動させてエプロンから滑走路の離陸開始地点まで移動させる間に、同機に装備されている電子式燃料装置が正常に作動しているか否かについては操縦席に備えてあるエンジン計器により確認できたし、かつ、操縦者用のチエツクリストにより右確認をなすことが操縦士に要請されるところであることが認められる。右認定と訴外治が実際に離陸前の計器類の点検をなしていたこと(このことは当事者間に争いがない)を併せ考えると、訴外治は離陸開始前に前記電子式燃料装置の作動状況について確認をなしたものであると推認できる。
右認定事実と前記二に示した本件事故の発生およびその原因とを総合して考えると、訴外治は右確認後本件事故機の離陸を開始したものであるから、同機の離陸開始前においては前記電子式燃料装置は正常に作動し、従つて同装置に装着されている真空管も不良ではなかつたのであるが、その後本件事故発生時までの間に何らかの影響で右真空管が不良になつたものと推認できる。右認定を左右するに足る証拠はない。
さらに証人江口和昭の証言によれば、本件事故機を含めてF-八六Dジエツト戦闘機にはその飛行中電子式燃料装置に装着されている真空管が不良になることはきわめて稀れにではあるが生じうることなので、これに備えて電子式燃料装置の外にこれを補完するための機械式燃料装置が装備されていたこと、本件事故は偶々離陸直後で、かつ、低空であつたため機械式燃料装置への切り換えの時間的余裕がなかつたために発生を避け得なかつたものであることが認定でき、右認定を覆すに足る証拠はない。
4 されば、以上2および3において説示したところを考察すれば、本件事故は本件事故機の離陸直後前記真空管に生じた不具合が原因で発生したものであるところ、航空自衛隊が採用していた前記整備体系のもとにおいてはその整備の段階において右不具合を発見する可能性はなかつたし、従つてこれを統御することも不可能であつたといわざるを得ない。しかも、右整備体系そのものが自衛隊員の生命を危険から保護するものとして不完全であることを首肯せしめるに足る証拠はない。
してみると、被告において本件事故機の飛行により訴外治の生命を危険から保護するよう配慮すべき義務(前記安全配慮義務)を尽くさなかつた旨の原告らの主張は肯認できないものである。
四 よつて、被告の安全配慮義務違反を理由とする原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤原康志 山崎末記 土肥章大)
別表(一)ないし(五)<省略>